吉野熊野国立公園は、1936年に指定された国立公園で、最初の国立公園として選ばれた12か所の一つです。和歌山県、奈良県、三重県の3県にまたがり、紀伊半島の自然保護の中心的存在です。山岳、河川渓谷、海岸を結ぶ公園で、ユネスコのエコパークや、IBA(Important Bird and Biodiversity Areas)、ラムサールなど世界的な評価を受けている地域も含まれます。
吉野熊野国立公園は、吉野、大台ケ原、大峰山、北山川・熊野川、熊野灘と、枯木灘の各地域に分けることができます。枯木灘は2010年の国立・国定公園総点検事業で、吉野熊野国立公園に格上げされた新しい地域ですが、その他地域の多くは日本で最初の国立公園選定の際から指定されています。
1931年に国立公園法が制定され、最初の国立公園の選定が行われました。当時国立公園指定を主導したのは、日本の国立公園の父と言われる田村剛博士で、田村博士の当初の構想においても大峰山、大台ヶ原の山岳部は国立公園の候補となっていました。日本の国立公園は最初12か所が選定されるのですが、その選定過程で吉野熊野は議論の対象となりました。大峰大台のみを指定候補に入れた田村博士に対し、脇水鐵五郎博士は熊野灘の景観も日本を代表する景観という意見を主張します。海岸部を指定しても観光しづらいと考えていた田村博士でしたが、熊野灘の調査に訪れたあとは熊野を絶賛し、大峰大台に吉野熊野と北山川を加え、1936年に国立公園に指定されました。

熊野灘獅子岩

熊野灘海金剛

串本橋杭岩

吉野蔵王堂

大台ケ原大蛇嵓
北山川・熊野川
国立公園指定のころより、北山川には発電所とダムの建設計画がありました。国立公園指定後、一定の反対運動があって計画は縮小されましたが、ダムと発電所は建設されました。当時日本では、尾瀬、上高地、黒部、北山川の4か所にダム建設計画があったようです。尾瀬と上高地は、ダム建設が中止になり現在でも自然環境が残り、「日本の原風景」や「自然の故郷」などの美しい枕詞がつきます。黒部ではダムができましたが、映画「黒部の太陽」の舞台になって日本の高度成長期の象徴的ポジションを獲得し、現在でも山奥の大きなダムは観光客をひきつけ、観光放流を行っています。それに比べ北山川はあまりにも状況が違い、以前より水位の低下と河床の上昇、観光客の減少が続いていました。2004年に紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録され、高野山や熊野古道は観光客を取り戻しましたが、2020年のコロナの影響で北山川の瀞峡観光船は休止になってしまいました。
吉野熊野国立公園 環境省サイト